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アドラー心理学について

岸見一郎さん、古賀史健さんの著書「嫌われる勇気」を読了。読みやすい構成で内容もとても面白かった。本書ではアドラー心理学に基づき、人はだれでも幸せになれるということを説いている。アドラーの考えに初めて触れ面白いと感じた点を残しておく。

目的論

「ああしたからこうなったんだ」と考える原因論に対し、アドラー心理学では「こういう目的のためにああした(している)」という目的論で語られている。目的に着目する点が面白いと思い、同時に自分では気づきにくい視点だなと思った。
まだ理解しきれていないけれど、例えば自分の性格。飽きっぽい性格をしている。いろいろちょっとずつ手を出しているような感じ。広く浅くといえば聞こえはいいが、これを目的論で言えば、本気でやればなんとかなるという可能性を残しておきたい(という目的がある)のかもしれない。
昨今、学校でいじめられていた学生が自殺するというニュースをたまに目にする。被害者はなぜ自殺をしなければならなかったのか、反対に加害者はなぜいじめる必要があったのか。被害者と加害者の他に、傍観者もいただろうし、被害者を助けようとした人もいたかもしれない。それぞれの目的もなんだったんだろうか。個人的には今まであまり意識していなかった視点だなと思う。

課題の分離

誰かが自分のことを嫌いになる可能性は十分にあるが、それはその誰かが決めることであり、自分が決めることはできないし考えたりすべきではない。誰のタスクなのかを明らかにし、自分のタスクにのみ注力する。
また、他人への介入もアドラー心理学では否定されている。親が子供に命令する例があったが、例えば学校での先生と生徒、先輩後輩という上下関係の間にももちろんあるだろうし、友人という対等な関係の中でもありうる。僕はあまり他人に介入していないが(気づいていないだけかもしれないが)、援助することはある。無責任なことを言っちゃいけないと思って慎重に言葉を選ぶこともあったが、少し意識を変えてみようと思う。何かを選択し実行するのは当人であり、結果に関しては相談に乗った人や助言した人に責任は無いと考える。ただし、結果的にどうなったかは知っておくべきで、その人のことを見ておくべきなのだろう。

他者貢献

言葉通り他者に貢献することが幸福を感じるために必要。ただし、貢献したことを他者に承認してもらうのではなく、自分で貢献したと思えることが大事。
アドラー心理学では承認欲求は否定されていて、他者に承認を得る必要があれば、それは他者に依存した生きづらさを選択していることになる。承認ではなく貢献感を感じる例として「ありがとう」と言われること。この言葉に上下関係はなく、かつ承認されているわけでもない。
他者貢献を感じるためには、「共同体感覚」を得なければならず、 それには今の自分をありのまま受け入れる「自己受容」と、無条件に他者を信頼する「他者信頼」が必要。自分はここにいて良いんだ、と思える場でなければ貢献感は持てないということ。

すこしまわりを見る目が変わったように思う

理解するのに時間がかかると言われているアドラー心理学。それを少しかじっただけでも、自己受容を頑張ってみようかなと思ってみたり、課題の分離を意識してみようと思える。少しずつ理解していければと思っている。

グッドデザイン賞展を見てきた

グッドデザイン賞展2015を見に行ってきた。 情報機器のデザイン(GUI含む)を見ようと思っていたのだけれど、他にも面白いデザインが多かった。さらに、自分のアイデア出しの視点をちょっと変えてみようとも思ったのでメモしておく。

全体的に感じたこと

グッドデザイン賞を受賞したものを多く見る機会は今回が初めてだったこともあり、新鮮だった。IT関連を中心に見ていたが、これまでに無い新しいユーザ・インタフェースや、家具をスマホやスマートウォッチで操作する系が気になった。 他の展示会でも見る機会はあったと思うが、例えば車内の機器デザインはこれからもっと先進的になっていく。自動運転と合わされば車内での体験がどのように変わるのかなど、先のデザインを思わせるようなものもありワクワクした。 家具をスマホ等で操作するデザインは普及していきそうだなと感じた。意外とスマホは家の中でも持ち歩いている。一人暮らしでは少ない可能性はあるが、一軒家で生活していればスマホの移動量も多くなると思う。常に自分がいる場所からあらゆる家具を操作できるというのは体験してみたい。

イデアを発散させるポイント

大学時代に友人とアイデアコンテスト的なものに出たことがある。そのとき考えたのが、自転車の車輪部分にLEDを付けて、回転させることでそこに文字や絵を表示させるというもの。 回転させたり振ったりすることにより文字や絵を表示するものは多くあるが、グッドデザイン賞で見たものは、縄跳びの回数を目の前に表示するというもの。回転に合わせて表示される。 これを見て、コンテストのアイデアを考えていた時に、同じ回転させるものでアイデアを発散させてなかったなと思い返した。 当時は「これ面白いじゃん!」といってすぐに収束させていたので、少し発散させるためにポイントを絞って考えてみることも大事だったなと思った。このアイデアを他に使えないか、と考えてみることにする。

我慢とか想うとか

先日、Amazon ジャパンが携帯の電話番号さえあればメアド無しでアカウントを作成できるようにしたという話から派生して考えたこと。

メールも電話もLINEでOK?

友達や家族とのコミュニケーションはLINEで済んでしまいますよね。無料で使い放題ですし。

私自身は私用のメールアドレスは受信する一方で、送信することは滅多にありません。色んなサービスから何かしらの情報が送られてくるばかりです。電話においても、飲み屋や美容院を予約する時くらいしか使用しませんね。友達と話す時はLINEです(PC)。

いつでも、いくらでも電話できる時代か

私が高校生の頃は、彼女と電話するのもいろいろ考えていた。
無料通話分があとどれくらい残っているかとか、無料通話分を超えた場合の親への言い訳とか。基本的に無料通話分でなんとかしのいでいた。いつでも話せるって分かっていると、やっぱ話したくなるんでしょうね。

話したいけど話せない、という時間があるから話せた時の嬉しさは強くなるんじゃないかと勝手に思ってます。

私より年上の方々は、高校時代にそもそも携帯が無く、電話すら無かった人達もいますよね。直接会うか手紙のやりとり。そうなると会いたくて震えるという気持ちにもなるんでしょうね。歴史や古文の授業で出てきた恋文も、そんな感じだったのでしょうか。分かるような分からないような。

いつでも話せる、顔も見れる環境で何を感じるのか

誰かを想う気持ちに、いつの時代も、どんな環境でも差なんて無いと思ってます。ただ、何かしら違いはあるんじゃないかとも思ってます。
会いたいという気持ちを我慢する、話したいという気持ちを我慢する。現代ではそういった我慢をする必要は無さそう。
便利だけどなんか怖いなと、ちょっと思いました。

プリンターの事故

連休初日に鼻と喉が痛くなり、病院に行った結果風邪と診断され、2日間を安静に過ごすという寂しい連休となった。
そんな連休中に病院で見かけた、おもしろいなと思った事故があったので書いておく。

小さめの病院

さほど大きくない病院だった。病院の受付窓口の隣に会計窓口があり、さらに隣に薬を受け取る窓口がある。そのため受付の方も薬剤師さんも皆同じ部屋で仕事をしていた。
薬剤師さんと思われる方が薬の準備をしたり、患者さんに薬の説明をしながら渡したりしている。その方達とは別に、どの患者さんにどの薬を渡すかが書かれた書類等を作成している方がいた(実際にはプリントしているだけかもしれないが)。

薬情はどこへ?

「◯◯さんの薬情*1が無いよ!」と、薬局内の方々がちょっと騒いでいたので、面白そうだったので眺めていた。どうやらプリントしたはずの薬情が薬剤師さんのところに届いていなかったらしい。
「◯◯さんの薬情はさっきまでここにあったじゃん!」「確かに印刷したはず...」などという会話が聞こえてきて、単なるヒューマンエラーではないなと感じた。
それもそのはずで、偶然にも年齢が近い同姓同名の人がいたらしく、それが話をややこしくしていた。確かに◯◯さんの薬情は印刷されていたのだ。ただ、もう一人の◯◯さんの薬情は印刷されていなかった。ではどこへいったのか。

印刷したけど、印刷されていなかった

結論から言うと、プリンター用紙の残りが0だった。だから印刷されなかったのだが、そのことに気づかず、当事者達は印刷していないというヒューマンエラーを疑っていた。
この場合、印刷する側と、印刷された書類を使う側の2者がいた。プリンターが置かれているのは印刷された書類を使う側であり、印刷する側が印刷されたことを確認するのは難しそうに見えた。
デザイン的な話であれば、そもそも用紙の残りが0であることになかなか気づけなかったことに問題がありそう。

2人とも気づけなかった

印刷した側と、印刷された書類を扱う側の双方が問題点「用紙が足りない」ということに気づけていなかったのだ。なぜなのか。
現場を遠くから見ていただけなので詳細は分からない。が、ソフトやプリンターから何かしらアラートが出ていたはず。それを見逃していたのだろうか。

どうデザインするか

現場はとても忙しそうだった。だからアラートに気づけなかった?問題無いと軽く判断しアラートを無視した?プリンターのディスプレイを見る余裕が無かった?
いつもはどうだろうか。余裕があれば起きなかった問題なのだろうか。アラートを読んでも理解できずにOKボタンを押した?そもそもアラートを読まずにOKボタンを押した?プリンターのディスプレイを見ていなかった?そもそもあまり見ないのか?
双方が気付くのに時間がかかったことが問題であり、気づける余地はあった(最終的にきづいたのだから)。それが遅かった。単なる知識不足なのだろうか。それとも慣れ?...
プリンターは結構昔から存在するが、まだまだデザインで解決すべき課題がありそう。

*1:言葉として合っているか分からないけど、「やくじょう」という言葉が聞こえたので調べると、薬剤情報提供書というものがあるらしいので、それの略称かなと思います。

補完について

「補完」という言葉が適しているかは微妙だけれど、思いついたのでそのまま書いてみる。

最近、電車内の広告ポスターを見るのが毎朝の日課みたいになっている。広告を見ながら情報整理の仕方について考えたりしている。そうやって考えている内に「補完」に行き着いたことがあった。

伝わるデザイン

何のポスターであったかは覚えていないのだけれど、そのポスターの右端に「◯◯空港から△△空港まで80分」的な意味の図があった。簡略に描かれた地形の上に2つの空港があり、◯◯空港から△△空港までを曲線でつなぎ、曲線の上部真ん中あたりに80分と表記されていた。(本当はもう少し情報があるのだけれど、都合上これくらいにしておく)

それを読み取った私は即座に「◯◯空港から△△空港まで飛行機で80分で行ける」と思った。

ポイント2つ

良いと思った点が2つあった。

1つ目は、飛行機アイコンが空港の近くにあったこと。このアイコンはかなり小さく、ポスターを注意深く見てから気づいた。ただ、「◯◯空港」という表記がかなり大きめだったので、アイコン自体を大きくする必要は無いんだなと思いつつ、それなら要らないのでは?とも思ったが、詳しくは後述するが、もしかすると必要なのでは?とも思った。

2つ目は、空港から空港へ曲線で繋がれていたこと。背景が地形だったこともあり、曲線で繋ぐと空中を通っているようにも感じた。個人差あるのかもしれないが、これは意図していそうだったので良い点として挙げたかった。

補完?

私は確かに「◯◯空港から△△空港まで飛行機で80分で行ける」と読み取った。「飛行機で」という部分をどうやって読み取ったのかが何となく腑に落ちないでいる。

地図には多くのアイコンが描かれているもの。「空港」を意味するのは「飛行機」のアイコン。とすれば、ポスターの飛行機アイコンは「空港」を意味するためだったのか?もしそうなら「◯◯空港」という表記は要らない(◯◯だけで十分)。でもそのアイコンを見た(あるいは無意識に認知していた)人が、その意味を「飛行機で」と解釈する要因なのであれば何となくわかるが、しっくりとこない。

ということで、自分勝手に「補完」してしまったのではないかと思った次第。

まとめ

「飛行機で」という部分はデザインにより解釈できたことなのか、自分勝手な補完なのかという話。いくつかの要因があって解釈できたことだと思うのだけれど、まだちょっと腑に落ちていないので、思いついたらまた書こうと思う。

書いていて思ったのは、ただ伝われば良いというデザインは良くなくて、読み手を楽しませたりするためにも図やイラストを工夫するもの。だから、情報を伝えるという意図であれば不要なことでも、他の意図があれば盛り込む必要があるよなぁと思った。

普段使わないフォントを使うと楽しい


JKゴシックを使ってみた

結果的に、印象ががらっと変わった。
いつもはヒラギノ角ゴシックを使用し、砕けた表現にしたい場合はヒラギノ丸ゴシックを使用していた。今回はいつもよりちょっとふざけてみたくなり、かといってふざけすぎるのも気持ち悪いので、いい具合のフォントないか探そうとしていたところ見つけたフォントがJKゴシック。丁度良い感じがしてとても気に入った。

緩く読める

読み手に与える印象が固くならないように、かつちょっと楽しくなるようなイメージで使い始めたJKゴシック。使っている内に、普通の文章もなんだか可愛く読めてしまって、おお!って感動してしまった。言い回しをJKっぽくしてみようかなと思っていたけど、その必要は無かった。

いろんなフォント試してみよう

デザインの基礎にはフォント選びも必要とある。フォントから受ける印象ってすごいなと感じたのは確かなので、いろんなフォントを試しながら研究していきたい。

おわりに

今回はJKゴシックM・Lを私用で使わせていただきました。製作者の方にはとても感謝しております。ありがとうございました!
JKゴシックL