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「センスは知識からはじまる」を読んだ

クリエイティブディレクターで、good design company の代表である水野学さんの著書「センスは知識からはじまる」を読了。タイトルを書店で見かけた2ヶ月前からずっと気になっていた本で、内容も難しく書かれているものではないので、一気に読んだ。
今回は、前から考えていたことで腑に落ちたことをいくつか。

「わからない」は知識不足

とある絵画に数億円の価値があると聞いて、なんでこんな落書きみたいな絵に?と思った経験は誰にでもあると思うけれど、そもそも芸術に関して深く学んだ経験がある人も多くない気がする。また、よく「見る目が無い」という言葉を聞くけれど、知らないものや情報が少ないものの評価はできない。

身近な例もある。Tシャツ1枚に1万円以上出す友人がいたとして、GUとかで定期的に数枚買う僕からすると、やはり分からない。友人はとてもファッショに詳しく、いろんなお店やブランドを知っているし、買った服の詳細を説明できるが、対する僕はファッションとか服に関する知識は全然無いので、ある値段以上になるとどれも同じ見た目に見える。

見えている範囲の情報でしか判断できないし、例えば生地についての知識が少なければ、その部分の情報を見逃すことになる。見逃した情報が多ければ多いほど、現状知っている狭い範囲内だけで価値を見出すしかない。つまり知っていることが多い人ほど価値観の振れ幅が大きいのだと思う。

感性デザインもロジカルに考えられる

僕は、デザイナーはデザインしたものの説明をできなければいけないと思っている。エンジニアが慎重に、ロジカルに設計を行わないといけないように、デザイナーにも同じようなことが求められると思う。

ノーマンの著書「エモーショナル・デザイン」でも語られているが、使いづらいと分かっていても気に入ってしまうものがある。感性デザインについて深く知ろうとしていなかったこともあるが、「なんとなく好き!」と思わせる感性デザインは作り手のセンスが重要なんだろう、と思っていたので、表題の本とつながった。センスが良いものであるなら、知識をフル活用してデザインされたものであるだろうし、つまり言葉で説明可能である。

センスはつくれる

「かわいいはつくれる」を実現している人たちがいる。顔の形とか身長とか、自分だけではどうしようも無いこともあるが、それ以外の部分には伸びしろがある。

センスが良い・悪いと言われる人やものというのは、おそらく大勢の人にそう言われているのだと思う。1人2人が言っているだけではセンスが良い(悪い)とは言わない。つまり大衆、もしくはあるジャンルの中での大半に受け入れられているということ。アーティスティックに作り上げたものが評価されることもあるだろうが、著者は大衆をよく観察し、長くヒットしているものや流行のものを分析し、そこで得た知識と既存の知識との組み合わせで新しいものを作っている。それが「センスが良い」と言われているのだから、センスも作り出すことができる。

余談

感性デザインについて自分の経験から考えたことを雑に書いてみる。

僕は家で使っているマグカップをとても気に入っているが、ちょっと使いづらい。持ちにくくて、少しの間持っていると取っ手に掛けている指が痛くなる。痛くならない持ち方もできるのだが、カップに直接指が当たってしまい、熱いコーヒーを飲んでいる時にはつらい。でも気に入っている。

マグカップにはムーミンの絵が描かれている。ムーミンだけでなく、ムーミン谷の他のキャラクター達も微笑ましく描かれている。僕と同じ20代で知らない人はいないだろうし、嫌悪感を抱く人もいないと思う。もともとフィンランドの芸術家が風刺画として描いていたこともあり、原作はちょっと怖さが混じっている。お国柄の表現もあるのだろうけれど、その独特の表現はデフォルメされた後は可愛らしいのだが、全面的に幼稚なイメージであるわけではない。このあたりはもう少し深掘る必要はあるが、若い大人にも受け入れられるような見た目だと思う。さらにこのマグカップを色違いの2種類用意しておけば、カップルの目にとまるだろう。一緒に買うということになれば、お互いのお気に入りにもなると思う。